『うまれる』で出会うファンタジー
★★★★★
うまれる。
人を救い、育て、いやす
奇跡とファンタジー
両親の不仲や虐待の経験から、親になることに戸惑う夫婦。
出産予定日にわが子を失った夫婦。
子どもを望んだものの、授かれないという人生を受け入れた夫婦。
完治しない障がいを持つ子を育てる夫婦。
この4組の夫婦が、出産についての思いを語るドキュメンタリーです。
昨年、シネスイッチ銀座で公開しているときには、
観に行けなくて後悔していましたが、
近くで自主上映会がありましたので、行ってきました。
DVD発売はせず、全国各地の自治体や、サークルや、NPOなどが主催して
上映会を実施しているようです。
いいですね、こういうのも。
12/15現在の詳しい日程はこちらから。
妊娠、出産だけでなく、親になること、家族になるということ、
そして、いのちとは、いのちを紡ぐとは、ということを考えさせてくれます。
冒頭、子どもたちが胎内記憶について、
「痛かった」「苦しかった」
「ママが寂しそうだったから、ここに来ようと思った」
というようなことを口々に語っています。
ここでだめな方は、たぶんこの映画には向かないと思いますのでご了承を。
ちなみに、うちの子の場合、胎内記憶というのかどうなのか、
「うまれたときってどうだった?」と試しに聞いてみたときに
「明るくて、まぶしかった」と言っていました。
5歳くらいのときだったと思います…。
映画の中で、5人の子を持つバース・コーディーネーターの
大葉ナナコさんが言う、
「胎内記憶に、科学的な根拠はありません。
そういう部分はファンタジーでもいい、物語でいいんです」
という部分には、なるほどと思いました。
4組の夫婦の中で、
授かったいのちが、出産予定日に亡くなってしまったご夫婦の場合、
それをいやし、救ったのは、
「わたしは、あなたを選んでうまれてきたのです」という、
“天国からの手紙”という形のファンタジーだったのですから。
確かに、日本の新生児・乳児死亡率の低さは世界トップクラス。
安全に赤ちゃんがうまれてくることができ、無事に育つことのできる数少ない国ではあるのですが、
そうであっても、救えないいのち、
限られたいのちというものは、あります。
いのちがうまれること自体が、神秘であり、奇跡であるのなら、
「どうして、うちの子が」「どうして、わたしが」と
自分を責めてしまいがちなお母さんに、
こうしたファンタジーが救いの手になることは事実だろうと思います。
また、親になることに確信を持てなかったご夫婦が、
奥さんのおなかが大きくなってくるにつれて、
出産に向かうにつれて、
親になること、親であることについての考えが変わっていったのも印象的でした。
以前、ある先輩に「子育ては、親自身の自分育てでもある」と
言われたことがありますが、
あのご夫婦も、おなかにいるうちから
子どもに育てられていたのかもしれません。
いのちは、親も子も、互いを救い合い、育て合い、
いやし合うものなんだろうなあ、と。
その思いを確実にすることもできました。
会場は、小学生のお子さんとお母さんもいるし、
赤ちゃん連れの方も、妊婦さんもいるし、
親子、ご夫婦で観に来ている方もたくさんいましたが、
たまたまなのか、年配の方がやや多いかなという印象でした。
肝心の、ナレーターのつるの剛士世代が少ない…。
また、
「自分はなぜ、うまれてきたのか」
「うまれてきた意味なんて、自分にあるのか」
これから子どもをつくりたいと考えているご夫婦だけでなく、
そんなふうに感じている子どもたちも含め、できるだけ広い世代に観てもらいたいなとは思います。
それにしても・・・
日本の社会は、これから母親、父親になろうとする人に冷たいですよね。
不妊治療には、保険の適応を。
イクメンが正々堂々と産休・育休を。
養子縁組や代理出産について、もっと議論を。実現を。
そうでなければ、出生率は上がりっこない、なんて思ったりしました。
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