その子を受けとめる『隣る人』
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子どもに伝えたい
「どんなあなたでも、大好き」
本来、親が子にいうべき言葉なのだろうと思いますが、
さまざまな理由から、その言葉を言ってやれない人がいます。
言ってもらえない子がいます。
そんな人たちと子どもたちのために、
このドキュメンタリーの舞台である児童養護施設「光の子どもの家」があります。
刀川和也監督は、なんと8年もの年月をかけて、ここの子どもたちに寄り添ったそうです。
例えば、ある1人の女の子・むっちゃん。
彼女のような子を、なんだか知っているような気がします。
「何撮ってんだよ、ヘンタイ!」
まだ就学前の少女が放つ、この容赦ない言葉にも動じることなく、
カメラはよけいに、彼女に注目していくことになります。
“日常が愛情”
彼女の母親もまた、知っているような気がする、ふつうのお母さんでした。
自分が産んだのだし、血はつながっているのだし、けっして愛情がないわけじゃないんですよね。
だけど、どうしてうまくいかないんだろう・・・。
生みの親より育ての親
なんて、いわれますが、
子どもにとっては、
朝起きて、
ご飯を食べ、
学校に行って
帰ってきて
宿題して、
またご飯を食べ、
本を読んでもらい、
一緒に眠る。
上映後、刀川監督と「光の子どもの家」の菅原理事長がいらして、
「暮らし」というふうにおっしゃっていましたが、
その何気ない暮らし、日常、毎日こそが、
子どもにとっては愛情の証しなんですね。
日常は愛情
そんな、ごく当たり前のことに気づかされます。
「むっちゃんはどうしたいの?」
隣る大人たちがたずねます。
「あなたの思うとおりにしていいんだよ」。
そこで、どんな答えを出したとしても、
共にいて寄り添うこと、受け入れること、なんだなと思わされます。
どんなに愛していても、どれだけ血が濃くとも、
それに勝るものはないのです。
「誰もひとりでは生きられない」のですから。
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