もちろん、
ほかの地域で、全国津々浦々で
どんどん観てもらえたら、それはそれでいいのだと思います。
「ご遺体は話しかけてあげることで、人間としての尊厳を取り戻す」という、
原作にあった主題ともいえる言葉は、
心を打ちますし、まさにそのとおりだと思います。
ただ、実際、スクリーンに映し出されると、
つらい。苦しい。
涙が止まらない。
まっすぐ見ていられない。
例えば、阪神淡路大震災を描いた
赤井英和、田中好子の『ありがとう』は2006年製作、約10年後。
森山未來、佐藤江梨子の『その街の子ども』は2010年製作で、15年。
フランス人監督が撮ってくれた、神戸や大阪、六本木で現在上映中の
それだけの月日がたっています。
『遺体』と、これらの間にあるのは、流れてきた年月、時間。
震災と津波と原発による命の喪失、物質の喪失、つながりの喪失、
あらゆる喪失で受けた大きな悲嘆のかたまりは、
一生、消えたりなんかはしませんし、
一生、ともに抱えていくものであると思いますが、
それでも、時間がたつほどに
悲嘆のかたまりというのは
少しずつ少しずつ、本当に少しずつ少しずつ、小さくなっていくものではないか
と、私は考えています。
確かに15年たとうが、何年たとうが、つらいんだ。
無理なものは無理なんだ。
絶対、観るものか。一生、観たくない。
そういう方もいらっしゃるでしょう。そういう選択肢ももちろんです。
一方で、時間がたつことを恐れ、風化させたくない、というなら、
風化させてしまうのは、いったい誰なんだろうか、とも思います。
何も風化なんか、していない。
忘れてなんか、いやしない。
あの日、
自分の命よりも、親や子どもや、友人や、恩師や、ご近所さんや
愛する人たち、そして見知らぬ人たちの
命を、無事を、どれだけ心配したか、どれほど祈ったか。
その日のつらさ、苦しさは、
まだ風化なんか、するわけがない。
まだ、ようやく、2年なんです。
ようやく、ほんの少しだけ鎮まってきつつある悲しみを
掘り起こしたくない方は、「観ない」という選択でいいんです。
私自身も、もう一度、観たいかといわれると、否。
しかし、いつか数年後、十年後には見直したいし、
いずれ子どもにも見せたい。
でも、今は無理だと思っています。
まだ、あの日の記憶が鮮明すぎて、
それだけの心構えをまだ持つことができていないから。
何度も書きますが、私はこの映画に、敬意を払っています。
原作のモデルとなった方々、
原作者の石井光太さん、君塚監督。
西田敏行さんはじめとするキャストの皆さんに対しても。
意義はとてもある。
あの場で何が起こっていたか、確実に「伝わる」映画ではある。
後世に残す、伝える。というのは、ものすごく大切なことです。
「この映画を撮ってくれてありがとう」と取材対象となった方々が
おっしゃるのは、ご本心からだろうと思います。
ただ、私自身は、大手を振って応援はあまりできません。
複雑な感情がうずまいているんです。
なぜなんだろうな、と
なぜ、こんなにも心がもやもやして、落ち着かないのだろう、と
映画を観てからずっと考えていたのですが、
先日『メモリーズ・コーナー』を観て、腑に落ちました。
そう、この映画には「真実」はあるけれど、「希望」がないんです。
起こったことがおそらく、ほぼそのままに再現されているのだろうけれど、
その先の未来への暗示がないんです。
原作のあとがきにもあった、
“約2万人の方が一瞬にして亡くなったこと、
それをしっかり受け止めて、生かされた私たちが十字架を背負って、
それでも、前を向いて生きていくことが、真の復興につながる”
というメッセージが、
残念ながら、私はこの映画から感じとることができなかった、
ということに気がついたんです。
「事実」を切り取るドキュメンタリーではないならば
せめて、そこだけはフィクションでいいから、
あえて入れなかったという、何かしらの「希望」を入れてほしかった、
そういう映画にしてほしかった、ということに気づいたんです。
ただ、そのことも、実際に観れたからこそ思い至った考えであることも、
また確かで・・・。
感情も思考もまだ入り乱れておりますが、
「観る」ならば、相応の覚悟を持って、ということを
お伝えしておきたいと思うわけです。
遺体 ~明日への十日間~ - goo 映画
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